散策【国分寺・府中の歴史探訪】に参加して

     篠原和行(土s43卒

   今回も櫻井元幹事(通信s38)に甘えて企画して頂いた、表記の「国分寺・府中の歴史探訪」を1115()JR中央線国分寺駅に14名の参加者が集合し、天候にも恵まれ快晴で温暖な中、武蔵野段丘の南緑の「国分寺崖線」と呼ぶ段丘崖とその下端部付近の礫層から浸水する湧き水を利用し、材木林の風致を生かして作られた近代別荘庭園である「殿ヶ谷戸庭園」散策からスタートしました。

 

 実は51年前の昭和49年に本社転勤になった時、会社の「国分寺寮」(跡地は現在早稲田実業高校になっています)に入寮し、4年間生活していたのですが近くにこの様な素晴らしい庭園があったことさえ知らず恥ずかしい限りでした。

 

武蔵国分寺跡の碑

 次に「東山道武蔵路跡」へ、東山道武蔵路は上野国(現群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)を発掘調査の結果、幅12mの道路跡が台地上から谷部にかけて490mの長さで確認されました。現在その道路跡の300mを歩道形式で現在の国分寺市役所前に保存されていました。

 

 続いて「武蔵国国分寺跡」で「国分寺」の建立から地震や分倍河原の戦いで焼失しましたが、昭和31年に科学的な発掘調査が行われ建物跡などから全国に建てられた国分寺の中でも、とても大きかったことが分かったことなど、櫻井さんから説明を受けました。

後列(左から):大澤(電s43)、熊倉(電s43)、石堂(土s39)、菅原(機s45)、佐々木(機s45)、櫻井(通s38)、小野寺(電s45)、田中(建s45) 前列:岡山(機s35)、山崎(工s35)、野本(機s43)、篠原(土s43)、三橋(工s41)、吉田(電s39)

 その後「府中市郷土の森博物館」に移動し館内の展示物見学と昼食でしたが、数人の方がビールやワインを飲まれていたのですが、菅原さん(機s45)と私は運転手でしたので大好きなお酒を飲む訳にもいかず残念でした。

 

 次の「武蔵府中熊野神社古墳展示館」へは、地元府中市に在住している岡山さん(機s35)のヒューマンナビでカーナビを使用することなく移動しました。

 更に驚いたことに、この展示館の中には岡山さんが散歩中に撮影した、展示館建設以前から年度別に風景が分かる写真が展示されていたのです。館内展示物見学後

武蔵府中熊野神社古墳

に古墳も見学いたしました。日本国内でも3例しかない上円下方墳(じょうえんかほうふん)という貴重なものと確認されました。他の2例(奈良県、静岡県)が7世紀後半~8世紀前半とされるのに対し、武蔵府中熊野神社古墳は7世紀前半と判明し、上円下方墳の国内最大で最古級の古墳と判りました。被葬者は不明ですが、上円下方墳であることや全面が石で葺かれていること。

 さらに切石切り組の三室構造の横穴式石室であることなどの特徴から、武蔵国内を代表する有力者の墓であると推察されています。

 

 その後は、大國魂神社に移動すると「七五三」なので親子連れが多く露店も多く出ていて賑やかでした。

 大國魂神社の宝物殿には例大祭で使用される日本最大の「御先拂大太鼓」を見学、説明文には「例大祭当日は八基の大神輿と六張りの大太鼓が御旅所に渡御する。この太鼓はこれら八基の神輿の先頭を御先拂役太鼓として進むもので、くりぬき胴太鼓としては、我が国最大のものである。直径2.5m、重さ27.5トン、本体の材質はブビンガー(アフリカ・カメルーン産)、皮は和牛雄1頭皮使用と記されていました。

 

 大國魂神社を後にし、JR府中本町駅横の「武蔵国府跡」へ、管理事務所で貸して頂だいた、イヤホン付の武蔵国府スコープを装着して、指定された1~5のポイントに行くと、「模型の解説と上空から国府域全体を再現」、「古代の蹴鞠(けまり)」、「主殿内部で万葉集を詠む宴」、「徳川家康が多摩川周辺で行った鷹狩り」等が観られ、とってもリアルな感じがいたしました。

 

 最後に、JR国分寺駅周辺の居酒屋で懇親会を行い楽しい1日が終了いたしました。